<小説:森博嗣Vシリーズ 黒猫の三角 人形式モナリザ 月は幽咽のデバイス 夢・出逢い・魔性>

S&Mシリーズを読み終わったので、次のVシリーズへ。
読み応えが無い訳ではないが、京極夏彦に比べると本が薄いので、案外サクッと読み終わるなぁ。


個人的感想としてはS&Mシリーズよりも、ミステリー的というかエンターテイメント性が強いというか、
キャライメージが鮮明で、必要な人員が揃ってる感じ。S&Mシリーズは途中から増えてった感があるからねぇ。
率直なイメージとしては、S&Mシリーズは計算づくって感じで、Vシリーズは筆が踊ってる感じ。
もっともどちらの作品も、裏で歯車がガリガリと動いている雰囲気を感じるほどに、
緻密に作られている感じはするよね。


京極夏彦森博嗣もそうだが、文章に無駄が無い気がする。
贅肉の無い筋肉質な文章というか、基盤の配線の流れというか、都市のような感じ。
京極夏彦の文章は古い都市の入り組んだ袋小路から、夜空の月を眺めている感じ。暗く入り組んでいるが方角は分かる。
森博嗣の文章は近代的な碁盤状の地下通路みたいで、蛍光灯の光で隅々まで照らし出されて、全て見れるが全ては見れない。方角も分からない。
そんな感じ。


このまえ全く違うミステリーを読んでみたのだが、有名な作家さんだったのだが、ゲンナリしてしまった。
無駄な文章が多すぎる・・・。
無駄な文章の典型は、説明台詞の多さや、細かい台詞まで特に意味も無く書き出してしまうことだと思う。
描写を省略できていない文章は冗長でストレスになる。うなづきなどの動作や、メインとなる会話の接続や、会話の終わり方なんかがポイントかと思う。
演劇やドラマや映画なんかでもそうだが、全てを見せなくても推察できる人間の能力は強力で、
全てを見ることのできない現実の世界に生きているからこそ、情景に余計なものが混ざっていると敏感に感じることができるんだと思う。
語り過ぎず、語らな過ぎず、絶妙のバランスが必要なんだなぁと。


以前、後輩が書いたシナリオを添削したことがあるが、やはり無駄な贅肉が多かったなぁ、って事を思い出した。
んでも、それを削るって作業が思いのほか難しいって事もその時に味わった。
0から1を生み出す作家的な作業を経て作られたシナリオは、作家の愛が隅々まで行き渡っているから、無駄が無駄と見えないため納得してもらうのが大変だ。
それがプロと素人の違いなのかなぁと思ったりもする。


話を戻すが、Vシリーズも面白い。
1作目の「黒猫の三角」は衝撃的過ぎる。
どんでん返し過ぎて、なんつうか・・・ミステリーの常識では考えられないというか・・・。
1作目でそれをやるか〜?って感じではあるが、ある意味で1作目でしかできないことだなぁと納得する部分でもある。
少なくとも1作目に関しては、私は完全に作家の掌の上で踊らされていた・・・。
騙されて悔しかったけども、同じくらいの開放感というか爽快感はあった。


是非是非お勧めです。
あ、でも、S&Mシリーズも面白いからそっちもお勧めよ。
特に、S&Mシリーズの最後の作品は、うん、凄い作品。うん、凄いよ。