誰かの為とか自己犠牲とかそんな甘い奴

日記を書きたいことはいっぱい有りつつも、様々な諸事情からちょっと控えていた今日此の頃如何御過しでしょうか?今日はしがない爺です。

<・・・さりとて>
彼らの存在を見ていると時間の流れってものの確実性を痛感し、
それでいて私では如何する事も出来なかった、その自分の偽りの無い素での中身をつくづく思い知らされてしまって。
「そんな時代もあったねと」なんて歌のように思ってみても、それはなかなか私には切なすぎるものなので。
現役でないことが、良い事でも悪い事でもあり、私は全く成長していないということを又更に思い知らされるだけの事になってしまう。
もしもifってな事があったなら、私はやっぱり私のなので全くあのままの自分を曝け出してしまうだろうし、
でもだからと言って今の私が昔の私と同じになるか、と言われるとそれも絶対に違うと言えるのだが、
それでも人は変って行くものだと、私は信じ続ける事によって自己の向上への少しでもの糧にしているのかもしれない。
明日変わるわけでもない、明後日変わるわけでもない、
絶え間ない時間の連続とそれに対応して生きている自分と、それでも尚変わることの無い普遍の信念の中で私は変わっていきたいと切に願っている。
色々有ったしこれからも色々有る。
良い事も悪い事も全てを飲み込んで、真正面から全てに対応して来た訳ではないが、
それでも毎日の連続なのかで私は生息しているのだから。
変わって行けていると信じて。
やっぱいろいろあるけども。
せめて出来るだけ正直に生きて行けたら、貧乏くじを引こうが、ちょっとは納得できるかなと。
所詮岩手人の言う事にゃ、誰も賛同してはくれまいが、
日本の田舎の端っこで、ちょっとかっこよく生きていくことが出来たら、
意外とそれは満足出来る事なのかもしれないと思った。
それぞれの目標とそれぞれの価値観の中で、誰が正しいとか
誰が優れているとかも重要だが
その中にさり気無いこだわりを見つけ出せたりしたら
素敵なことだと
あまちゃんの岩手人が申しております。

<最近>
色んなことがむかつかなくなって来た、
これが普通の自分なのかもしれない、
それともトチ狂っている時の自分が本当なのだろうか、
正解は、困ったことに全部私でした。
こいつは、卑怯で根性無しで意地っ張りでetcetc・・・
駄目な奴だけれども、
それでも何とかこなして生きています。

では