雨は嫌い

徹夜に耐えられないほど肉体が衰えている今日この頃如何御過しでしょうか?今日はしがない爺です。

<続・面白い大学祭>
確かに面白いってのは人それぞれで違うなぁと思う。そこで、不定量なモノを計るために具体的なものを求めるのだろう。
来場者数とかアンケートの結果とか参加者の声とか・・・。
来場者数が増えれば嬉しいね。沢山の人が見に来たってのは一つの指針になる価値はあるよ。
アンケートの結果で、面白かったですとか来年も来ますとか書いてあると、現役の頃は涙が出るくらい嬉しかった。
参加者の声ってのも重要だね。大抵悪いことしか言ってもらえないけど、良い評価をしてくれる人もいるしね。

こうやってみると、只それだけのために大学祭って有るのかも。
評価してくれる数少ない人のために。だからといって来場者数が減っても気にしないのはどうかと思うがね。

ま、何が面白い大学祭なのかは客の反応しだいって事で。

<黎明期から過渡期へ>
大学祭はその趣旨上、アイデアからスタートした。
大学を使って楽しい事をしたい、がスタートだった。
だから黎明期の大学祭は企画を軸として全てが回っていた。
しかしそれを支えるだけのシステムは無く、酷い思いをした人も多かった。
だからこそ、企画を軸にしながらもデータ蓄積とマニュアル化とシステム化が重要視され何年かが流れた。
そういった黎明期は2002年で終わりを迎える。
敷地内をほとんど使い(グランド除く)まともに余ったスペースも無いほど企画を立てて、かつ初代の意思が色濃く残る最後の年だった。
2003年からは過渡期に入った。
ほとんどの系統の企画は試され、目を見張る新しい物が出にくい時代となった。
しかし実行委員会のシステム充実重視の側面は変わらず、マニュアルとフォーマットが大切にされた。それはいつしかシステムを軸とした企画という状態になっていた。
しかしそれは2003の反省資料にしっかりと読み取ることが出来る。
部署間のコミュニケーション不足などはその最たる例だと思う。まるで縦割り行政の悪い部分だけを見ているようだった。
当然今年もそれを色濃く受け継いでいる。
冗長なまでの書類の山と、縦に長いからこそ起きる現場と上層部の意識の乖離。

過渡期は新たな時代である。
今こそ企画を軸とした体制へ戻し、培ったシステムを利用しながら新たな可能性を探さなければならないのである。
今までの先例を打ち破れるだけの創造的な企画を・・・。