着々と近づきつつある冬

晴れだろうが曇りだろうが雨だろうが雪だろうが研究室に籠もっている今日此の頃如何御過しでしょうか?今日はしがない爺です.

<2〜3日前>
早朝に煙草を吸っていたら,目の前で降っていた雨がみるみる雪に変わって行った.
初雪となるほど大量には降らなかったが,今冬では初めて目にした雪だ.
着々と冬に近づいている.
原付に乗れるのもあとちょっとだな・・・.

<思想・責任・評価>
今まで嫌と言うほど味わってきている思想.
「自分たちが楽しめなきゃ意味がない」

一見素晴らしい言葉のように聞こえるが,その実は実委を蝕む根本的な問題の一端を表している.

質問:大学祭において一番大切な人は?
私:実委以外の全ての関係する人.特にも来場者.

実委を散々蝕んでいる思想,「自分たち‘も’楽しめなきゃ意味がない」.
この「も」が,現在は「が」となっている.「自分たち‘が’楽しめなきゃ意味がない」.

そもそも大学祭を実行するにあたり,どうやって楽しさを求めようというのか?
自分の作りたいイベントを作れることを楽しさとする?
企業への広告営業を楽しさとする?
ひたすら掲示物を作り続ける作業を楽しさとする?
大学祭を実行するための作業に楽しさなどはなく,作業として処理しなければならない課題が山のように積んであるだけの世界である.
しかし幸いなことに,それら作業の中には自分の意思を紛れ込ませる隙間がある.
様々な場面や状況で判断や解決方法や考えが求められ,それらの積み重ねが,その作業結果の方向性となるのだと思う.
・・・・・

何か難しく書きすぎて飽きてきた.
もっと簡潔に書こう.

自己満足って言葉は危険だなと思う.
確かに大学祭なんてのは,その大部分が実行委員会の自己満足のために作られている.
しか〜し,自己満足と言いながら,君はそこにどれだけの自己を投影して,かつ満足したんだい?と思うわけです.

つまりどんなレベルで自己満足を目指したか?

学生会室の壁に,Happyになる順番,という記事が張ってある.
幸せになる優先順位は,他人を幸せに出来ないと自分には回ってこないとよ.と言う記事.

大学祭においては実委以外の人達を満足させる事が至上命題だと思う.
そのために1年もかけて準備し披露する.

他人を満足させることを目標とする人と,自分が楽しいと思うことを目標とする人が居るなら,前者でなければ大学祭実行委員会をやる資格はないと思う.
自分が楽しいと思うことをやりたいならサークルで活動すれば良い話だ.
大学祭実行委員会が専門委員会として位置づけられている理由は,まさに他人を満足させる事を存在目標として与えられているのである.
自分たちの好き勝手に大学祭を行う権利を与えられているのではなく,学校や学生に奉仕するための公共的組織として位置づけられている事を十二分に理解しておいて欲しいものだし,その前提があるからこそ様々な面でサークル以上の優遇を受けている事を忘れてはならない.

今年の大学祭は,一つの大学祭の将来像を示す形となった.
それは,学生やサークルの企画が主体となる大学祭の形態である.
私もその重要性を否定するつもりもないし,今後更にサークルなどの学生活動が盛んになっていく事が予想されるため,今以上に大きな存在となっていくだろう.

では,現在よりも学生やサークルの企画が多くなり,他の伝統的な大学のように学生やサークル企画が主体となって形作られる大学祭となった場合に,大学祭実行委員会は必要なのだろうか?

答はNOだと思う.
例えば学生会主催の七夕や夢灯りイベントは,その当初からサークル企画主体という色が強かった.
しかし,時期的な要因から季節色が強いために全体として一つの色が作れている.

では,大学祭の場合はどうか?おそらく百花繚乱状態で特色らしい特色が出ないものとなるだろう.他の伝統的な大学のように.
しかも,学生やサークル企画主体であるならば,必要な機能は管理機能だけであり,企画を実行委員会自らが行う機能は必要なくなるだろう.

単なる大学祭というイベントのための管理団体に落ちた大学祭実行委員会には,今のような予算も権利も与えられないであろう.管理する事が目標となった団体には必要の無いものだから.
もっとも,管理団体となってしまった場合には,その団体に入って管理をしたいと思う人間なんて居ないと思うがね.


何か上手くまとめきれないが,今日はここまで.
次回は,管理団体となった場合の未来を想像してことで,もうちょっと書いてみたいと思う.