<夏空よりはブルー>

まぁ気分が落ち込む日も有りますよ、今日とかね。
理由とかは特に無いんだけども、何となくブルー。
男性にも生理があれば公然と労わって貰えるのだろうか、などどと差別的で不適切で女性に対して失礼なことを想像したりする。
別に用事があって明日大学に出なきゃならないからだとは思わないが、
行くことを想像するとすくなからず胸が苦しくなることは事実でもあったりする。
良く行くブログで見たことも無い人の訃報の記事を見たからだろうか・・・。
それとも秋が近づいてくる天候に影響されているのだろうか・・・。


ブルーなせいなのかは知らないが、久々に他人と電話したりとかもしてみたが、
表面上の用件は別なところにあるので、特にどうなる訳でもなく、何か期待していた訳でもない。
電話において重要な意味は、時間を共有していることなんだろうなぁとか思ってみたりして、自分を励ましてみたりもする。
いや、特に他意は無いし、深い意味も無い。


何がどうした訳でもないのだが、書くフレーズを考えていると溜息とかが出てみたりもする。
そんで、「溜息をつくと幸せが逃げるんだよ」と昔言われたなぁと思い出したりもする。


こんな感じだから、小説読むのにも気が向かず、さっきまでは今日の更新はしない予定でペラペラと本のページを捲っていたのを止めて、
意味も無くこんなことを書いてみたりしているわけだ。


以前後輩に、色々と昔の事を気にしすぎだ、と言われた事があるが、本人も十分に自覚している。つもりだ。
似たようなことをちょっと前の飲み会でも言われた。
んで、大学での煙草仲間にも、似たようなことを言われた。
それほど私は過去にこだわって生きているように見えるのだろうか?少なくとも本人にはそんな自覚は無い。


少なからず思うことは、何を持って生きて行けば良いのかが、良く分からない。
バカになったのか、年を取ったせいなのか、はたまた昔の私がバカだったのか、単純だったのか、
一直線とは行かなくなっている自分が居るし、それが嫌だから大学をボイコットしているのだろうなぁと思ったりもする。
もっとも、昔が一直線だったと思っていること自体が、錯覚か過去の美化にしか過ぎない可能性も多分に含んでいるわけだが・・・。
悶々としていることは事実だ。
悶々としているって事は、何が嫌で何が好きなのか、まったく見えていないからなんだろうなぁ、とも思う。
見定まってしまえば後は解決するだけだからねぇ・・・。


話は変わるが、私は面白くない。話題が無い。
電話するとそこに困る。
用件以外の話題を持ち合わせていないことに改めて気付かされる。
世の中の人が、何でそんなに話題を持っているのかが不思議でならない。
皆は面白い話題を持っていて凄いなぁと思う。
人と話していても、相手の話を聞いている場合が圧倒的に多い。
自分に由来するソースなんて無いに等しいほど、ほとんど持っていない。
時事問題に対しての見解ぐらいはソコソコ持っているつもりだが、そんな野暮なことを話題に出しても面白くないし、
勝手に私が気持ちよくなって終わるだけだ。聞く側ははなはだ迷惑な話だろうなぁと思いながら話していることも、少なからず有る。


こうやって考えていると自分に由来するモノが驚くほど少ないことに気がつく。
趣味趣向なんて、せいぜい他人の生産物を取捨選択しているだけの事柄で、
どうしたって自己に由来しているのではなく、模倣か類似だ。
なんとも希薄な感じがしてきて、たまらなく切なくなるわけで。


そもそも、60兆個の細胞の塊が、何で一人の人間かと。
そいつらが勝手に、停止しないように反射を返してくるもんだから、
眠くはなるし、腹も減るし、
自分らしきものが決めている事なんて物は、どれほどあるのだろうねぇ。
太陽が有るから月が有ると分かるように、人間は相対的に捉えることで、そのものを見るわけだが、
自分というものを見つめる時は何と相対化すれば良いのだろうか?
座禅のように自分を無にして世界と一体化することで、自分の中に世界を取り込むなんて事をしたら、
自分なんてものは無いって事になってしまう訳だし、
禅問答なんてのは反射反応そのもののような事をしてみても、
それって言うのは何処に帰着するのかが全く理解できない。
(まぁそもそも、禅そのものに対しての知識と経験が圧倒的に不足している自分が、そのことを引き合いに出すこと自体が何の意味も持たないぼんやりとした事でしかない訳ですがね。)


少なからず言える事は、
自分が考えていることが他人に伝わらないの同じで、他人のことが良く分からない自分が居るということは、
他人ではない私らしきものが、何となくぼんやりとそこに居るらしいって事なんだろうなぁ。


そんなことを悶々と考えてしまった、ブルーな日でした。