春のうららの・・・

夜の寒さを警戒していたら、異常なまでの日照りに見回れまして、もう参りまくりな今日此の頃如何御過ごしでしょうか?今日はしがない爺です。

<何気に>
ライブを見に行きまして、あんな所に行ったのは高校の頃以来でして、ナカナカ楽しませて頂きました。
是非次回も誘ってもらいたいものですな。

<でもって>
演劇を見に行く。何と言うか面白い。さすが社会人にもなってまでやっているだけの事は有りまして、本当に演劇が好きなんだろうなと思いましたよ。
いろいろと感銘を受けまして、何と言うか好きな事は良い事だ、と思いまして。
まあ、難を言えばもう少し捻ったクライマックスだったらなと思う。途中で落ちが想像できてしまった。

<で>
飯食ってビデオ見てゲームして寝た。

シーマン日記>
また1匹共食いした。あと3匹。
結構言葉を覚えてきた。イェーイとか喋る。

<コルチャック>
うーん。イマイチ感動はしなかった・・・。
自己犠牲とか社福精神とかは良く解らないけども、あの人はあの人の判断で行動し、それが正しい行動かどうか、ベストの選択かどうかは抜きにして、自分で選択し行動した。
その根底にあったのは自分の理想の世界と理念だったと思う。
特に力があったわけでもなく、特に優秀だったわけでもない彼は、只純粋に子供を愛し、子供と一緒にいる事を至福としただけだと思う。
評議会の議長は自分の力の無さとゲットーの同志へ何も出来なかった責任からか、はたまたユダヤ人を取り巻く環境への絶望からか、自殺したのかもしれない。
もしかしたら、最後の最後まで移住要求を飲まずにゲシュタポにやられたのかもしれないが、しかし、死んでしまった。
密輸業者のシュルツはあの中で1番冷静で強かな判断をしていた。
コルチャックは反ドイツの活動をする上でも、ユダヤ人の教育とゆう観点から考えても必要な人間であった事は事実である。
しかしシュルツはコルチャックの性格を知っていたのにも関わらず彼の事しか助けようとしなかった。
もし子供達の完全な安全、つまりアメリカ等への移住を確保出来たならコルチャックは子供と一緒に海を渡ったかもしれない。
コルチャックは政治的な駆け引き等は出来ない人間だった。只の子供好きのガンコ親父と言ってもいいかもしれない。
いろいろな意味で等身大であり、社福人にとっては理想像かもしれないし、ナカナカ形容しがたい。