自己と他者

鬱で死にたがりになっていますが、それでも仕事はあるものでこなしている今日この頃如何御過しでしょうか?今日はしがない爺です。
殻ってものよくある話でそれこそ私にも。
さーて今回の爺さんは・・・。

<やぶっていこう>
などとはまったく思っていなく、つうか破れないもので。
たとえばそれが表層心理から続き深層心理までいたる繋がりの一番外側の部分だとしたらそれは私にも存在するわけで、
でもだからって甲殻となって確かに存在し続ける物でもないと認識していて、
それは不定形でゆっくりと気が遠くなるような時間の中で変化しつづけるもので、
一瞬のうちにもまったく同じ様相を呈さない一方通行のようなものでもあり、
まさに殻とゆう定義が当てはまるかどうかすら私は怪しいと思っていて。
でも高校生のころはまったく意識したことなく、友人とかにはストレスと無縁の人間だと思われていたくらいで。
それこそ他人に人格とその仮面性について説教かましていたくらいナもので。

きずはいえそこはもりあがりりゅうきはたにをつくりしわとなりこうしつかしてからとなる

自己中心的な悲観と自虐の果てには緩やかな消耗が待っていて、そんなことすらを冷静に分析していると思っているその思考ループ自体が、自己の主観的立場からのものであり、それを客観的に分析するには事実だけをもとに感情を一切排した思考ループを立ち上げる必要があり、もしかしたらそれが悟りと言うのかも知れない。