思ったこと

筑紫哲也のニュース23を見て思ったことをつらつらと。

<本題>
筑紫哲也のニュース23を見た。今年最後の放送はイラク問題について。
したり顔で日本の現状を憂う解説者も、偏った戦中時代のゲストの反戦にもウンザリしたが、一番心動かされたのはVTR。
子供たちが幼稚園で歌う童謡の流れる中、VTRは幼稚園から街中の様子へ。
様々な世代の人のインタビュー。
あなたの一番大切なものは何ですか?
家族。友達。今の生活・・・・。
イラク派遣について質問されて、
しどろもどろに、曖昧に答える学生に対して、
はっきりと意見を言う年配の方が印象に残った。

戦後民主主義の原点として丸山眞男の「現代政治の思想と行動」を紹介し、日本の特徴に触れた。
それは、雰囲気に流される国家。
太平洋戦争へと流れ込んだ原因の根源としての、明確な責任の欠如。
不作為の責任(行動や意思を持たないことに対する社会的な責任)
この言葉を聴いた瞬間に、痛烈に稲妻が走った。

そしてもう一つは、ナショナリズムに走る若者の群像。
さしたる価値観もアイデンティティも無いままに、何かに縋る様に安易に唱えられるナショナリズム

それらの映像を立て続けに頭脳に叩きつけられて、私は涙が出てしまった。
雰囲気に流され、不作為の責任を自覚せず、縋るようにナショナリズムを求める若者。
曖昧な将来に対する不安感。日常の雰囲気に流れる倦怠感。なんとなく感じる焦燥感。

全てが渾然一体となって流れる、不作為へとズルズルと引きづられる雰囲気。

戦後50年私たちは何をしてきたのだろうか?

陳腐な言葉だが、今だからこそ真剣に考えるべきなのだと思う。

丸山真男http://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/maruyama/htm.htm
その中の「現代における態度決定」http://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/maruyama/file21.htm

<蛇足>
腐敗していると気が付いている内は腐敗ではない。
全てを当たり前だと何も感じないのが腐敗である。