猫も杓子も・・・

ついに堀江貴文氏が逮捕された今日この頃如何御過しでしょうか?今日はしがない爺です.

<どうでも良い話ですが・・・>
日記のカウント平均がめっきり落ちている今日この頃です.まぁ,誰が見るとも知れないような陳腐な内容ですし,いっそその方が気持ち的には楽なんですが・・・.
でもちょっと寂しい気もしたりしてw.

<進化の過程>
ホリエモン
  ↓
オリエモン ← いまここ
 (↓)
(ホラエモン)  ← どう進化する?
(ムイチモン)
(ムショクモン)

<寸評>
いや〜,開示注意銘柄から監理ポスト行きですか・・・.昨日付けでフジテレビの含み損は90億だそうで,今日市場が開いたらどのくらいまで増えるのか・・・.
あるいは東証がまた処理件数を超えてしまって取引停止に至るのか・・・.

個人的には堀江氏の逮捕はもっと先のことだと思っていたので,非常に驚いています.
幹部連中が先に逮捕されて,満を持して堀江氏だと思っていたので・・・.

ネットなどでは賛否両論ですなぁ.一方的な批判も有れば,功績を評価する人もあり,最近起きている警察の不祥事を引き合いに出して警察パッシングをするサイトもありますなぁ.

私の感想から言えば,逮捕は当たり前の流れだったといいますか・・・前々から感じていたことですが,彼の会社はM&Aの会社でありそれについての戦術しか持っていないなぁと.
球団買収の件も,ニッポン放送の件も,目立つことをやろうとしているのに戦略が無いなぁと.
そんな意味ではソフトバンクは意図的に目立たない方向で実利を取る戦略のように見えるのですが,如何ですか?

そもそも,IT企業としての業績なぞは無く,実際はIT企業よりは金融会社的実態であって,しかもやっている事は土地転がしと同じレベルの自転車操業・・・だいたい真っ当に買収した会社を運営する気持ちも能力も無いと思う.
会社運営の能力が感じられないと思ったのは,球団買収の件とニッポン放送の件の時に彼の語った将来像があまりにも稚拙だったからで,特にもニッポン放送の件のときはITとテレビの融合などとお題目を並べながら,その実,話している内容はおよそIT業界に身を置いているとは思えないような,稚拙で技術的背景も将来展望も無い話だと感じていた.
彼の発想って・・・理念が無いと言いますか・・・打算的と言いますか・・・我侭と言いますか・・・自分のスタイルは主張したがる癖に,その実,大したスタイルも意志も無い・・・.

まぁ拝金主義と,倫理観が無いと片付けるのも楽ですが,それらはおそらくこれから先も流れは止まらないでしょうからねぇ.
個人投資家も増えているみたいですが,お金と相性が悪い私には別の理由が無い限り手を付けたくない業界ですな.

話は変わりますが,コイズミさんのコメントにもあった,去年の6〜7月頃に放送部で試作したコイズミさんと私のラジオ番組のパイロット版で,時事問題を取り上げたときのネタの一つにライブドアの件がありまして,今思い返してみると内容も面白いので,このブログで聞けるようにUPしようかな,と考えています.

・・・
うーん,個人的にはライブドアの話は去年OFFlineで散々したので今更改めて書くほどのネタも無く,案の定の感が強いので,まぁ気が向いたらいづれ,ね.

<どうでも良い話>
最近,学祭の動きが見えない.特にアンテナを張ってないから聞こえてこないのは当然かもしれんが.

で,何で急にそんな話題かというと・・・深い意味は無いのだが,今の時期が重要だからねぇと.
以前,OB講習会と称して一度集会が持たれた訳だが,OB連中は消化不良気味だった(はず.少なくとも私は).
んで,その時に現役にはこれからも継続的に開いて行くことで同意したように記憶しているのだが,それ以降音沙汰は無い訳で.
んで,私らしく批判をするならば,最近集会室の前を通る時に少し覗き見る限りでは,昨年の主流派がだいぶ影響力を行使しているようなので,遅かれ早かれ二の舞になるのだろうと.
時代の流れだと,世代による文化の格差なのだと言ってしまえば済む問題なのだろうか?まぁ私が常々言っていることではありますが.

語り尽くされた陳腐な言い方をするのであれば,
情報データベースとしての組織的経験値はある程度維持している中で(まぁ一部の過去のデータがウイルス騒動で消滅したことを気に留めている人はあまり居ないのであろうが),それを如何にして個人にフィードバックして行くか?つまるところ知識としてではなく知恵として消化して行く必要があるわけである.
それら,個人と組織の関係性はどちらか一方に偏ることではなく,特にも昨今では個人偏重な風潮が強いだけに,義務と権利のように組織に属する意味合いも同様の関係性が必要なわけである.
その関係性のバランスの問題はさて置くとして,先程も述べたように個人偏重な風潮が存在しうるからこそ,その関係性を意識的に作り上げていく組織的仕組みが必要と思う.

世代の変化による実委の意識の変化と,環境の意味合いとしての学内のその他の学生活動が活発化していることを鑑みると,
やはり重要になってくるのは本人たちが自分達をどのように位置づけるのか?あるいは,どのような位置でありたいのか?であろう.

私のような昔の人間が常識とした背景を今の人間に求めること自体がナンセンスなのだということは,最近になってようやく身に染みて理解したわけだが,では彼らの背景とは何なのだろうか?という疑問は残る.
彼らの背景とは何なのか?とは何が思想や美意識なのか?とも言い換えることが出来るわけだが,若くて経験も浅い彼らにそういったものを期待すること自体が無駄なことだと,そんな大層な意識は芽生えていないのだという意見もある.
しかし,それこそが大学生に求められる又は求めるべきモノなのだろうと思う.

まぁ,そういった時期が過ぎ去った年寄りにしか見ることの出来ない世界観なのかもしれないがな・・・.

訪れる前には羊に見え,訪れた時は鷹に見え,訪れた後は石となる...