ふ━━( ´_ゝ`)━( ´_ゝ`)━( ´_ゝ`)━━ん

余りに汗がダラダラだったので昼間に水風呂入ったら、夕方よけいに暑く感じた今日この頃、皆様如何お過ごしでしょうか?今日はしがない爺です。


昨日更新したから、今日は更新無いと思ったの?バカなの?死ぬの?
・・・いや何でもない、ちょっと暑いから暴走しただけ。
ゆっくりボイスが大好きだとか口が裂けても言えない。
まぁ、やる気をちょっと出してみたよ。


岩手はそれほど天候不安でも無いので農作物は順調に収穫できそうです。
九州地方の雨で農作物が値上がりか・・・。
中央市場に品物が吸われて岩手も値上がり傾向とのこと。
地産地消はどこいった?


本日の本題。裁判員制度の初公判とその判決と諸々。
何のかんのと鳴り物入りで始まって、最近のトップニュース。
まぁ法案提出の段階で批判せずに、成立してから批判するマスコミのいい加減さは諦めるとして、
このニュースで気になっているのは以下の2点。
1.マスコミの裁判員についての報道の仕方について。
2.判決の量刑に関して。


1.マスコミの裁判員についての報道の仕方について
激しく違和感を感じているのは、この件。
このために今日更新したと言っても良いくらい違和感を感じている。
何に違和感を感じたのか?それは裁判員の情報の公開度合いである。
ニュースでは「30代 男性 会社員」「40代 女性 主婦」「60代 男性 会社役員」などと紹介していたが(例として適当に書いている)、
これは情報を公開し過ぎなのではないだろうか?
傾向分析のための統計的データとしてこの種の属性を公開することは賛成だが、
特定裁判においてこの種の情報を公開することにメリットや意味は無いと思う気がするのだが・・・。


更にニュースでは、上記の属性を裁判員の着席位置と関連付けて放送し、
(例)「左から2番目に着席している40代女性主婦の裁判員は○○という質問を行った」などと報道していた。
これでは傍聴人からしてみれば相当量の個人情報を得たことに成り得ないだろうか?
杞憂かもしれないが、被告が裁判員への復讐を計画したとしたら、これらの情報は悪い方向には働かないだろうか?
逆に我々は報道でこのような属性を知ることで何か得るものがあるのだろうか?
※日記更新中にニュースサイトを見ていたら、職業まで公開されていた・・・(例:ピアノ教師、栄養士など)これは公開し過ぎでは?


更に驚いたのが、判決後に行われた裁判員による顔出し記者会見。
一部の裁判員は顔出しを辞退し、音声収録のみでの参加だったようだが、
それにしても参加した裁判員の7割?(記憶が曖昧で記事が出てこない)が顔出し記者会見に出席した。
これって驚異的じゃないか?
正直、日本人のメンタリティーを俺は誤解していたとしか言いようが無いほどビックリしたが、わが父の分析には納得した。
父曰く、
「彼らの心理としては、成し遂げた達成感と自己肯定の思いが強いんじゃないかね」とのこと。
なるほど、そう考えることもできるか。
まがりなりにも、真摯に取り組んで真面目に考え議論し、他人の一生を左右する結論を出したのだから、
堂々と記者会見することも良いと思う。
が、しかし、記者会見する先例が出来ちゃうと、今後も裁判員の記者会見が行われることなるだろうし、
世間の注目が集まる凶悪犯罪などの記者会見も行われそうで怖い。
法律的に禁止することは出来ないのだろうから、メディアの自主性というか倫理観の問題に帰着するのだろうが、
メディアに倫理観など期待する方が無駄だしなw
やはり一番危惧していることは、顔出しリスクとしての逆恨み犯罪で、
メディアがこの犯罪を助長する可能性は指摘しておかなければならないだろう。
※8月7日付けの今朝の新聞一面に、記者会見した裁判員の写真が掲載されている。これははたして良いことなのだろうか?


2.判決の量刑に関して。
裁判員制度が決定したころから言われていたが、この制度によって判決の量刑は軽くなるのか?重くなるのか?
結論からいえば、私の予想よりは重かった。
求刑が16年、判決は15年、俺の予想は10年だった。


量刑が軽くなると主張する人達は、人を裁くプレッシャーから軽くなるのではないか?と。
重くなると主張する人達は、セキュリティー意識の高まりから、重くなるのではないか?と。


えーと、説明するのは長いから面倒なんだけど、
国民による国家へのセキュリティー意識の高まりってのは、かなり昔から指摘されている傾向で、
高度経済成長が終わった時代から国民国家としての共通目標になる大きな目標が無くなり、
それに呼応する形で生活水準維持の意識の高まりがセキュリティー意識として顕在化している。
ざっくり言うとそういうこと。
で、そんなセキュリティー意識が高まっている中での裁判員制度は、
結果的に見れば見事に意識が反映される形となったわけですね。
そして裁判員の記者会見から察することができるように、裁判員当事者の意識の高さと、正当だという自己認識が透けて見えるわけです。


さて、これは日本人にとって幸せなことだったのでしょうか?
私は相当前のエントリーで裁判員制度は否定している立場なのでバイアスかかってます。
しかしながら、やはり素人の感情は問題になるのではないかと、そう思う訳です。良くも悪くも。
卑劣な犯罪を許せないという心理から、過去の判例に囚われない厳罰も実現するでしょう。
一方で、裁判員の同情を引けない場合はどうなるのだろうか・・・?
色々とニュースを読むと、概ね素人感覚での裁判員の質問は好評だったようで専門家の評価も高いようだ。


全てを否定するつもりは無いが、法治国家であることは忘れてはならないと思う。
私たちが日常を送れるのは法治国家だからである。
法治を超越した人治を認めることは、極端ではあるが魔女狩りと一緒になってしまう。
朝令暮改ではまともな日常など期待すべく余地もない。
(あー、何かガチガチの考えっぽいなぁ、そんなつもりは微塵もないんだがwww)


よく、弱者切り捨ての法律だとか言われるが、その認識は間違ってると思う。
法律とは白と黒の違いを設定するために、どこかに基準のラインを引くことだ。
ラインを引く以上、どこかが向こう側になり、こちら側が生まれる。
それは弱い強いとは関係なく、法治であるからこそ初めて人は平等となれる。
生まれた環境も経済状況も人種も年齢も性別も関係なく、ある意味無情にも、法の下では平等である。
悪法と言われようが、それは法律が悪いのではなく、法律を決めた人間が悪いのだ。
人情によって法律を歪めることは、その人を助けることで、誰か他の人を排除していることになるだろう。


あー、何か話題が堅すぎる。


判決が厳罰化の方向に流れることは個人的には賛成だが、
それが人情によって左右されるような形にならないことを祈るのである。


そんな感じで終了。
書くの疲れた。休み休みで丸1日かかってしまった。
久々過ぎて文章力落ちてきてるなぁ・・・。
昔はもうちょっと早く書けたと思うが、まぁリハビリですな。
次こそ東京一週間のレポートしないと。
(∩゚д゚)アーアー聞こえないー!